広島に原爆を落とされて、63年経ちました。
今日は学研から出版されている本を紹介します。
『せんそうってなんだったの?』(全8巻)と言う、語り継ぎお話絵本です。
その中の 7巻/原爆・沖縄に、僕も仕事に携わったお話があります。
「おねがいです、水をください」井上 こみち (著) BOOSUKA (イラスト) です。
この話は実際あったお話で、
澤田さんと言う方が、若い頃に体験したときのお話です。
それを作家の、井上こみちさんが文章にしました。
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おねがいです、水をください
著:井上こみち イラスト:BOOSUKA
1945年の夏。
私は、広島市に近い仁方という駅に勤めていました。
そのころ、日本中の大きな町が、次々と空襲を受けていました。でも、仁方の駅のホームはとても静かでした。
「ここは人も少ないし、爆弾は落ちないだろうな。
でも、戦争はいつ終わるのかな。
早くお客さんが、安心して
汽車に乗れる様になるといいなあ。」
私は、手を振って出かけてゆく、
笑顔の子供たちが大好きです。
でも、今の汽車のお客さんと言えば、兵隊さんと馬。
後は、戦争に使う兵器ばかり。
そして、ある日。
仁方のすぐそばの呉という大きな町でも、
とうとう、空襲が始まりました。
その町には、戦艦「大和」がつくられた、
海軍の港や工場があるからです。
「空襲で線路がやられてしまったら、鉄道はおしまいだ。」
駅長さんが、大きなため息をつきました。
8月6日の朝。
私は、昨日の朝からの
丸一日の仕事を終えたところでした。
今日の当番の人と交代して、ほっと一息。
「これから帰って、ひと眠りするか。」
大きなのびをしました。
その時です。
ピカッ!
目を開けていられないほどの、まぶしい光が見えました。
しばらくすると、
ドドドドドドーン
何百もの雷が、一度に落ちたような大きな音がして、
駅がぶるぶる震えました。
私は思わず、頭を抱えてしゃがみました。
今まで見た事も、聞いた事も無いような
すざましい光と音です。
「一体、何の音だ?何が光ったんだ?」
「爆弾か?」
みんな、急いで駅長室に集まりました。
窓の外を見ると、西の空に
灰色がかった不気味な雲の固まりがわき上がり、
見る見るうちに、空いっぱいに
大きく広がって行きました。
お昼過ぎになって、広島の方から汽車が着きました。
中から、次々と人が転げて出てきました。
「一体、どうしたんだ?」
髪の毛が赤茶色で、ぼうぼうになっている人、
真っ黒な顔に血がにじんでいる人、
服が焼けこげている人・・・・・・。
皆、ひどい格好をしています。
私の足は、震えが止まりませんでした。
一人の男の人が、私に手を差し伸べ、声を振り絞って
「水をください・・・・・。のどがやけそうです。」
そう言って、ホームに倒れてしまいました。
私は、急いで水を取に走りました。
「広島では、たくさんの人が死んでいます。」
別の人が、とぎれとぎれに説明しています。
「新型爆弾が落ちたらしい。」
あっちこっちの駅に電話をして、
問い合わせていた駅長さんが言いました。
「よく分からないけど、恐ろしい事が起こったらしい。」
私は頭がくらくらしてきました。
8月8日。
私は駅長さんと一緒に
人手が足りなくなった広島駅に、応援に行く事になりました。
汽車は動きません。
線路の上を歩いて広島駅に向かいました。
広島の町に近づくと、空が暗くなってきました。
煙とホコリのせいです。
爆弾が落ちてから、もう2日もたっているのに、
町はまだ燃え続けているのです。
私達は焼け焦げた臭いに、たまらず、手ぬぐいを、口に当てました。
線路の枕木からは煙が出ていて、
足が熱くなってきました。
やっとたどり着いた広島駅は、ひどい有様でした。
屋根は吹き飛ばされ、柱が残っているだけです。
もう、駅とは呼べません。
そして、そこには、人が重なり合う様にして、
横たわり、うめき声を上げています。
「ここは、本当に広島の町だろうか。」
建物は砕け、わずかに残っている電柱や木は、黒くこげ
黒い電線が、地面にたれています。
鉄道員になったばかりの頃、広島に来た時に見た
建物も見当たりません。
見覚えがあるのは、遥か向こうに、
ぼーっと霞んでいる山だけでした。
しばらく歩くと、幹や枝の無い大きな木の根元に
寄りかかっている女の人がいました。
両腕に一人ずつ赤ちゃんを抱えています。
眠っている様に見えましたが、近づいて見ると
三人とも死んでいました。
このお母さんは、ピカッと光った時、
双子の赤ちゃんを守ろうとして、抱き寄せたに違いありません。
私は三人の顔に、そばにあった焼けこげの布切れをかけ
手を合わせました。
「助けてください。」
倒れた家の下から、女の子のか細い声が聞こえました。
「今、助けるよ。よいしょ、よいしょ。」
黒こげの木をどけて、女の子を引っぱり出しました。
木はまだとても熱くて、軍手が焦げていきます。
女の子の足は、膝から下が真っ黒です。
「しっかりして!」
何度も声をかけましたが、
女の子は、もう答えてくれませんでした。
急に左腕が痛くなりました。
服を脱いで確かめようとしても、
袖が皮膚にくっついて、はがれません。
気がつかないうちに、火傷をしていたのです。
石にすがりつく様にしている、男の子がいます。
私は、ぴりぴりと痛む腕をかばいながら
「この子は、親とはぐれてしまったのかな。親も探しているだろうに。
かわいそうに一人で死んでしまって。」
ひざまずいて、手を合わせました。
その時
「み・ず・を・く・だ・さ・い。」
男の子は生きていました。
私の足音に気づいたのです。
顔は真っ黒で、目が見えなくなっているようです。
「いいとも。今すぐにあげるよ。」
男の子は、両手で私の腕にしがみついてきました。
私は、男の子を抱えて、水筒を口に近づけました。
男の子は、わずかに口を開け、
「コクッ・・・・。」
小さな音がしました。
「お父さんやお母さんが心配してるよ。一緒に探してあげるからね。」
私は男の子を励ましました。
すると、腕の中で男の子が、急に重くなりました。
水を飲んだとたんに、死んでしまったのです。
私は、男の子の頭を抱えると、大声で泣き叫びながら
「僕は、子供達が、嬉しそうに汽車に乗るのを見たくて、
鉄道員になったんだ。
どうして、こんな子供までが死ななければならないんだ。
もう、いやだ。もう、いやだ!」
その夜、駅長さんと、お互いに見て来た事を話しました。
川は、水が見えなくなるほど、たくさんの死体で
盛り上がっていたそうです。
たくさんの人が、水を求めて、川に飛び込んで、
死んでしまったのです。
でも、駅長さんの親戚の人は無事でした。
それを聞いて、私は、少しだけ元気が出ました。
駅長さんはこう言いました。
「広島に落ちた爆弾は、これまでに無い、強い力があって
人が殺されただけでなく、土や水が汚れてしまったそうだ。
広島にはこの先、60年も70年も
草も木も生えないかもしれない・・・・。」
本当に、恐ろしい爆弾が広島の町を襲ったのです。
広島の町と人は、間もなく見事に立ち直り、
今では緑が生き生きとしています。
あれから60年以上が過ぎ、私は今78歳です。
焼けただれた手を伸ばして
救いを求めてきた子供達の声が、
今でも耳の奥に染み付いています。
赤ちゃんを、しっかりと抱いたお母さん。
足が炭の様になっていた女の子。
水をほしがった男の子。
みんなの顔が、私の頭の中から消える事はありません。
左腕には、あの時の火傷の跡が残っています。
私の胸で息絶えた男の子の重みが、
その腕の中に、今も残っているのです。
「おねがいです、 水をください」本のご購入はamazonへ
仕事の話を戴いたのは、まだ東京に住んでいる頃でした。
ちょうど広島市内に引っ越すんですよと、担当のMさんと話をして
縁もゆかりも無い、広島市内に引っ越そうと決めた少し後の話だったので
「何か不思議な縁ですね」って話ました。
それから広島市内に越して来て、この絵を描きました。
今回そのお話を、ぜひとも8月6日にブログに乗せたいと学研の担当者に相談し
井上こみちさんの許可を得て、ブログにアップすることが出来ました。
せんそうってなんだったの?/全8巻
この本は、生活、遊び、家族、学校、戦場、空襲、原爆・沖縄、戦後と構成されていて
戦争を体験して来た方々からお話を聞き、二度と同じあやまちをしないよう、戦争の怖さを知るだけでなく、
考え方や生き方も、知る事が出来る本だと思います。
今回この「おねがいです、水をください」を読んでいただき
その他の本にも興味を持っていただけると幸いです。
勿論このお話が収められている、7巻も特に宜しくお願いします。
尚、実は実際には子供が読む本なので、ほとんどが『ひらがな』表記でしたが
今回は『漢字』に変えさせて戴いています。
最後に、井上こみちさん、学研の皆様、ありがとうございました。
そして、澤田さんのご冥福をお祈り致します。
井上こみちさん
人と動物のふれあいをテーマに、ノンフィクションやドキュメンタリー、児童書などを手がけています。
著書は50冊を越えるそうです。NHKドラマ『ディロン〜運命の犬』の原作者です。
著書:カンボジアに心の井戸を/ ディロン—運命の犬/ 犬やねこが消えた/ 犬の消えた日/ ほか多数
澤田満明さん
戦後は桐下駄職人になりました。丸太の伐採から手がけ4年もかけ全ての行程を自分でこなす職人さんです。
東京の広島夢テラスでも大人気で、僕は偶然にも広島夢ぷらざでお会いしました。イラストはその時のワンシーンです。
澤田さんは昨年8月に亡くなられました。